| 氏名 | タイトル | 概要 |
橋本文博
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「新規就農 必勝法は?」 |
2000年春に、11年間勤務した総合商社を退職。パプリカ栽培を始めて、今年で8年目を迎えている。 経営規模は、はじめの5年目までは、近所の空きハウスをあちこち借りながらの2反弱。毎年、ぎりぎりの家計費を稼げて、ほっとしていた。 |
| 田中 拓次 |
「就農3年間の反省と、 企業的農業経営を目指して」 |
ここ数年、地元小売業者の倒産などで卸業者には厳しい現状が続いておりました。そこでこれからは、自分たちでニーズに応じた茶作りから販売まで手掛けていこうという方針から、私が大分で就農して茶の生産を担当し、父と兄が熊本の会社で商品化・販売を手掛けるという形を目指し歩き始めました。 |
友田明彦 |
「就農の経緯」 |
大学を卒業して、すぐ大阪に本社がある大企業と言われるものに希望に燃えて入社しました。 ところが、そこで私が目にしたものは一生かけて働いて、残ったものが、「うなぎの寝床の家だけ」という現状。地方の小さな町で生まれ育った私は都会でのサラリーマンの暮らしをイメージはしていたものの自分自身のこととして始めて認識した瞬間でした。 |
| 久葉晋作 | 「オレの大分県生活」 |
『はまりごしがいいなっ!!』で大分県生活が始まった…。それより少し前にぶどう園に訪ねてきたおじさんに『わが…はまっちょんのー!!』って言われていた…。 (わが!?輪が!?はまっている!?どこに!?嵌ってねえよ…どこにも!!) 大分に来て、方言との出会いが最初のカルチャーショックだった。 |