アグレッシュおおいた

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「新規就農 必勝法は?」
大分県臼杵市 パプリカ農園
橋本文博(41歳)

これまでの歩み

2000年春に、11年間勤務した総合商社を退職。パプリカ栽培を始めて、今年で8年目を迎えている。
経営規模は、はじめの5年目までは、近所の空きハウスをあちこち借りながらの2反弱。毎年、ぎりぎりの家計費を稼げて、ほっとしていた。2年前に、3反半の対候型温室を建設し、今年はさらに追加の増反をしたので、今は4反強での生産。ただし、増収分は雇用人件費に消えるため、生活は慎ましいままだが、天候リスクが減り、供給力も安定。少しは改善されたと思う。

新規就農の成功率

新規就農が生易しいものでないことは、益々実感している。2005年に、政府が株式会社への農業参入を解禁したが、2年経たずに撤退した企業は既に1割。残りの企業も、大半が苦戦中という。
私の地域でも、同じ時期に8世帯ほどが新規で就農したが、いまだに専業農家として維持できているのは半分以下。ただし、この数字は、他の産業で新規事業を立ち上げた場合と、大差ないのではないか。農業が特別なのではなく、独立して事業を営むこと自体に、厳しさが伴うのだと思う。
これまでの自分の経営には、反省が多く、絶体絶命を何度か覚悟した。1年目の低収入、4年目の新害虫の大被害。それでも、もう一年続けよう、という気分で続け、運よく翌年救われて、現在まで続いている。
就農直後の1、2年目は、地域内の他の新規就農者のほうが順調で、羨ましかった。私の就農した大分県臼杵市では、振興作物として、イチゴとトマトが指定されており、その作物を選ぶと、農地の斡旋、JAを通じた販売や栽培指導の体制が用意されていて、取り掛かりやすい。
パプリカは、日本国内に専業農家が少ないため、情報収集や販売対策は、すべて自力。そのため、遠隔地に点在するパプリカ生産者達と「パプリカ研究会」を立ち上げて、毎年1回の自主的な勉強会を始め、相互のレベルアップを目指してきた。また、販売先とは常に直接交渉しているが、輸入品がライバルのため、国産品も安定供給体制を築くことが、大きな課題とされている。

新規就農して、明暗を分けるものは?

私なりに感じることは、安易な方向を選び続けると体制の強化が遅れる。問題点をひとつずつ超えてゆくと、苦しいのだが、いつの間にか体制が整ってゆく。はじめは、ほんの一歩の違いなのだが、数年経つと、大きく違う場所に辿り着いている気がする。
「新規就農や作物選びに必勝法はあるか?」をよく自問するのだが、答えは「無い」。日々の積み重ねであろう。
厳しいことばかり書いたが、私も含め、日本中の生産者や農業関係者は、我が国の農業が栄えることを願っており、これから参入する方々を応援したいと思っている。
私の経験からのアドバイスとしては、はじめの2、3年目までは、大きな投資はしないほうがよい。その間、質素な生活でもいいから、じっくり経験と技能を蓄えること。地元の農業指導機関は、スタート時から、施設の新調などを勧めることがあるが、農産物流通の世界では、3年も経つと輸入が増えたり、新興産地が生まれたりして、様相が変わる。その変化に対応できるよう、はじめは身軽でいるべきだ。経験が蓄えられてから、投資をするとよい。
そして、栽培や販売においては、毎年、新たなトラブルが必ず発生する。そのシーズン途中は応急処置をするのが精一杯なのだが、シーズンオフに、良く対策を練って、翌年には「カイゼン」ができているようにしたい。私も、毎年、色々なことに懲りて、体でおぼえている。
我が家の経営も、いまだに安定には達しておらず、経営の段階を上がろうとするごとに、新たな難しさに直面している。
家族労働から雇用型への転換、借り物の施設から自己建設の温室に変わるための、投資型事業への転換、経営能力を身につけねばならないと益々迫られる日々の変化。
しかし、時代が刻々と動いているので、こちらも立ち止まることは許されない。

<新しい世代の方々へ>

新規就農の方々は、参入するかどうか、まずはしっかり試算して、やると決めたら、志を高くして進んでいただきたい。
これからの日本の農業は、洗練された農園が核となって日本全体の生産をリードする時代であろうから、新しい世代の農業者が育ち、ともに研鑽できることを、心から願っている。 (完)