アグレッシュおおいた

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就農して思うこと
日出町
後藤 敏行
後藤敏行
 前職について
 私が就農したのは、2010年12月で既に3年経過した。 それまで私は、高専の機械工学科を卒業した後、音響メーカーで筐体、梱包設計、半導体設備メーカーで設計、設置工事、半導体製造会社で、設備導入~製造とエンジニアの職を22年続けた。

1.就農のきっかけ 
 農業の職に就こう!と思ったのは、2008年の6月に父が他界した頃から考え始めた。 私の実家は大分市の外れの地域で、田畑、それに山をいくつか所有しており、父が他界した折、名義を全て私名義に変更した。 私はそれまで実家の土地の事をあまり考えておらず、登記はしたものの、未だに私の知らない土地がある事をその時に改めて考えさせられた。 また、趣味で自転車に乗っていたが、その頃友達と実家の田舎コースを走った際、小学校の遠足の時に見ていた田んぼが殆ど休耕田になっており、離農者が多くなっている事を改めて知った。

2.就農までの道のり
 自分が何とか出来ないか。と思い、2009年の6月に会社の早期退職制度を使い、退職した。  退職してから気分が緩んだのか、前の会社で再発していた喘息がひどくなり、2カ月程家で安静状態だった。 ただ、その頃は時間が十分あったので、農業に関する情報は色々と得る事が出来た。 (その時には、水耕こねぎの栽培をしたいと決めていた。)
水耕こねぎを選んだ理由としては、
① 小さい頃、田植えを手伝っていた頃のイメージで、こねぎを定植した後の姿が田植えを連想させた。
② 年間10回転出来るので、一度失敗してもリスクが少ない。
③ 今までのキャリアから、水耕栽培での管理が機械的に管理出来る。 と言う事だった。
喘息が治り、ちょうどその頃運良く農業大学校の準備研修の募集を行っていた。
すぐに申込を行い、合格し、6ケ月間学んだ。
その時に、サラリーマンから農業者へ考え方に転化できた。
学んだ内容は、農業の基礎、農業に関する捉え方だが、今でもその頃学んだこと、気持ちは忘れない様にしている。
 その後、土地、場所を探しながら、土耕、水耕こねぎの農家研修を9カ月学んだ後に、振興局の紹介で今の場所に就農する事が出来た。

(農地を探すに当たって、相当苦労したが、そこは割愛する。今でも運良く今の場所に就農出来たと思っている。)

3.就農してから
 就農してから「こねぎは大分県の強化品目にあげられており、価格安定などの措置が付いているもの。」と思っていた。 が、就農研修中に私が就農したこねぎブランドでは、そういった措置が付いていないことが分かった。 当時からその代替措置として契約があったのだが、それだけだと価格が下がる時期に作っても赤字になる事が想像出来た為、自分で売り先を探した。 スーパーに直接出向き、サンプルを野菜担当者へ渡し、運良く1社のバイヤーさんが気に入ってくれ、直ぐに契約栽培が出来る運びとなった。 (そこのスーパーとは今でもお付き合いさせて頂いており、今では当初の倍以上の数量を出荷させて頂いている。)  今現在、こねぎの市場単価は年々下がっており、農協の当初あった契約も全て無くなってしまった。 ただ、いろいろな所から紹介して頂き、今年から新たに3件の契約を開始した。 就農してから厳しい状況ながら安定して収入を確保出来る様になった事は、関係している方々へ感謝の気持ちで一杯です。

4.就農を考えている方へ
 農業を一生の職と考えるのであれば、農業大学校の準備研修を受講する事をお勧めします。 私はサラリーマン生活が長かった為、その頃までの週休2日が染みついていました。 本当に農業が自分に合っているのか?確かめる為にも研修は必要です。 また、作物を栽培する上での知識は自分で早期に調べる事も必要です。 (就農してからでは遅すぎです。) 研修中に毎日作物の観察を行い、データを取り、栽培を失敗しない様に常にコントロール出来る状況におく事が必要です。 研修中に仲間や、農家の師匠を見つけて下さい。就農してからは自分で動かないと誰も助けては貰えません(その人もその人の仕事があるので。)が、アドバイスは頂けます。

就農を斡旋する方へ(県、市町村、JA、公庫??)
 就農当初の就農支援資金は充実してるものの、就農後2年、3年目での資金を借りたい時期に思う様に借りる事が出来ないジレンマを今も抱えています。  就農時新規の設備で開始した場合と中古設備で開始した場合での運転資金(修繕費)は変わる為、その辺りの資金を借り易くする制度を今後考えて頂きたいと思っています。 (今後中古設備で立上げ、投資を抑える形が多くなると思います。)