氏名 |
匿名 |
写真 |
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年齢 |
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家族 |
花の独身 雇用:3人(平均78歳 最年少76歳 最高齢80歳) |
住所 |
国東市国東町 |
栽培品目 |
こねぎ |
直売の有無 |
全量JAへ |
出身地 |
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前職 |
会社員 商社
会社がメロンの契約栽培をしており、北海道・秋田・栃木を担当して栽培指導をしていた。
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就農のきっかけ |
高校のときに大型タンカーを作る夢だったが、卒業時にはすでにできており夢をあきらめ、農業関係の大学に行った。48年に卒業し1年間花作りを勉強した。その後オイルショックで就農をあきらめて企業に就職し30年勤めた。しかし、外国資本が入りアメリカナイズされた考え方で効率だけでものの判断をすることが肌に合わずギャップがあった。
ストレスで体調が悪くなり、家族の了解も取って負荷のかからない昔の夢を実現した。
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最初に相談したところ |
平成15年秋 インターネットや情報誌で調べて、目ぼしいところを探した。
現地を訪問した。(長崎県大島町、佐賀県小城町、福岡県嘉穂町、大分県安心院町、)
国東にした理由は、両親が横浜に住んでいるので空港に近いところが良かった。
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経緯 |
平成16年4月で退職して雇用保険をもらって捜し歩いた。
31年勤めていたから。2回雇用保険の金額を下げられた。
移り住んだのが平成17年1月で、トマトを作りたかったが、オオカハマキ病を引き起こすオンシツコナジラミの対策が不備なため断念した。 JA国東から販売量が少ないためにトマトの販売を引き受けてもらえなかったが、新規就農者としては対応するすべがなかった。
補助事業で堅牢なハウスを造ったが値段が高く使いづらい。
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目標 |
経営を安定化させること。 |
うれしかったこと |
ねぎ本来の自然な色が出せたこと。 |
つらかったこと |
何にもない。(過去にはいろいろなことがあったと思うが、忘れてしまった。) |
家族からの一言 |
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その他助言など |
自己資金を500~600万円は持っている必要がある。
借り入れはしないというやり方が大切。
農家研修などして体で農業の実態を会得し、農業に関する知識を仕入れることが大切。
サラリーマンには休みを欲しがる傾向にあるが、休みは自分で作り出すものであり、農業に土日はない。
草との戦いで、草の生えないところに作物は育たないことを認識してほしい。石は拾っても拾っても出てくるので、石も畑の肥やしと思うくらいの大らかな気持ちを持ったほうがいい。
健康保険は任意継続で35万くらいかかった。
就農後は収入がないため、国民年金の全額免除の申請を出した。サラリーマンをやめたら収入が安定するまで子供が扶養家族になっていても大丈夫だから免除の申請をしたほうがいい。現在は一括支払いしたが、保険料が高かったので再度申請して半額免除になった。脱サラ後は、就学児童がいる場合、授業料免除、給食費も免除があるはずなので行政機関に問い合わせたほうがいい。
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