氏 名 |
タイトル |
概 要 |
川野秀樹
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農業をしたいと思ったきっかけは友人が農業経営を始めた影響を受けて自分も
挑戦したいと思ったことです。
友人の手伝いで作業に入ったり、収入の話や、つらいこと楽しいことなどを話している
うちにだんだん自分も施設を持ってやってみたいと思う気持ちが強くなりました。
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上尾宜弘
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農業をしたいと思ったきっかけは父方の祖父母が農業をしていたことです。
その祖父が亡くなって田んぼや畑を管理することが難しくなったという話を聞いて自分にできないだろうかと考えました。しかし、資金も技術もない素人の、しかも大阪生まれの自分が大分で農業をすることができるのだろうかという不安が大きくなかなか一歩を踏み出せませんでした。
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佐和篤
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「大分県の豊後大野市にインキュベーションファームという研修施設はいかがでしょうか?」有楽町のふるさと回帰支援センターの受付嬢からその言葉を聞いた私たちは戸惑いを隠しきれませんでした。距離が遠い、台風、豪雨災害、熊本地震、猛暑…。と、大分県というよりも縁も所縁もない九州地方に移住することに不安と不満でいっぱいでした。
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平井聡
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豊後大野市に移住して4年目になります44歳の男、平井といいます。生まれも育ちも大分県、仕事で広島や神奈川にいた時期もありましたが、人生の大半は大分にいました。とりあえず就農した感想を一言でいうと『農家としてこれからやっていけそうだな』となります。
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堀彰太
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脱サラをして兵庫県から大分県へ引っ越し、ゼロスタートとなる農業の世界に飛び込んで10年が経ちました。
一番最初の目標であった生計を立てる! これは現在、クリアしています。勢いでマイホームも新築しました。個人事業主となってから8年目になりますが農業収入で貯蓄もできています。
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友田明彦
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今思えば、よく思い切ったものだと思わないではいられません。
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就農する事を決心した時、多分皆さんと同じだと思いますが周りの反対から始まりました。
今思えば、よく思い切ったものだと思わないではいられません。
ここまで続けて来られた事とこれからも続けていこうと思っているということは、農業が自分に合っているという事なんでしょう。
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木本恭輔
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前回体験談を投稿したのが2011年(2010~2011年)でした。
投稿から10年経ったので近況をお伝えしようと思います。
農業を続けています。
栽培品目は夏秋ピーマン1品目、栽培面積は20a→23a→16a(現在)と変化しています。
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川村文孝
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50才でスタート70才になりました。
始めは2人でスタート。11年から「就労支援きずな」のメンバー5人、合計7人で4年一緒に仕事をしました。葡萄農家は半年忙しく、半年は少し休める仕事です。安心院農園規模では全員を年間雇用ができず。仕方なく中止しました。幸い、安心院農園に魅力を感じ働きたいという人に出会い一緒に進めています。
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栗田洋蔵
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ベテランと言われるようになりましたが・・・・
平成3年度の事業で新規就農してからもう28年にもなり、年齢も66歳高齢者の仲間入りをしています。今や、継承に気をもむ日々になりました。
私の体験は、おおよそ皆様のお役に立ちません。というのも、平成3年と言えばバブル絶頂の時代、何をやっても儲かる時代でした。
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森 林太郎
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サラリーマン時代は転勤も多く、大分県、東京都、埼玉県、宮城県などを転々としていました。最初の赴任地であった大分県が気候も温暖で地震等の自然災害も少なく、食べ物もおいしいし温泉もあるしで老後の生活にはいいところだなあと考えていました。
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水本 幸佑・ゆかり
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農業を生業にする、
百畑百通り。
~きつい=辛いではない。大変=無理ではない~
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爆音で目を覚まし回りを見渡すと、ビカッと稲光が真っ暗な室内を照らしました。そしてまた爆音が響き渡った。
雷と叩き付けるような雨、後に「九州北部豪雨」と呼ばれる豪雨の夜は、何度も市の避難警報がアパートに響きました。それが移住初年度、研修一年目でした。
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弥生
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周りの方々に支えてもらって、就農から4年目を迎えました。 本当に皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。3年間全力疾走しました。でも、正直、疲れたー。あ。正直すぎですか?
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後藤 祐他
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22年間の会社生活を終え、農業を始めようと思いました。勘違いをする方もいるので書きますが、老後までの間をのんびり過ごすつもりではありません。真剣に働き、真剣に遊ぶつもりです。もちろん夫婦で。
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塚越 功一・塚越 悠
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大分に来て4年目になりました。
夫婦で、夏秋ピーマン13.2a スイートピー6aを栽培しています。
私たちが大分に来る前に研修・就農について希望していた条件は
・研修機関 (1~2年の研修で、座学ではなく実践研修ができ、本気で教えてくれる機関)
・施設園芸で設備投資がある程度抑えられる農業ができるところ
その他・・・
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杉谷 真
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早いもので大分(豊後大野)へ来て、5年目になりました。
ピーマン農業研修を2年間経て今年で就農3年目になります。
結婚生活も5年目、今では仕事、生活のバランスを取れるようになれたか、繁忙期でも月に一度は、市街へ外食に出かけるようになりました。
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福井敏之
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現代は、平均寿命が80歳を超える時代。退職後も
長い後半が待っている。(第一・第二ではなく)
① 経済的に自立し、精神的に満たされた生活をする。
② 農業は経営規模、経営方法が、自分の身の丈サイズで選択できる。
③ 作物を作る深さは、自然という総合複雑性の中、奥深く、飽きることがない。
まさに、「人生」を使い切る時代に『農業』はあっている。
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松田耕治
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7年前を思い出して、僕が先輩方によくぶつけていた質問を今の自分が答えるという斬新な手法でお伝えしたいと思います。
Q1.農業は儲かりますか?
A1.ぼちぼちですね。
正直都会に比べれば儲からないと思います。
Q2.何を作るのがいいですか?
A2.第一に適地適作。第二に流通量の多い品目
僕は第二を重視してトマトを選びました。
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後藤 T
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ベテラン農家さんは、最近の天候不順、異常気象で、今までの経験が通じにくくなっているとよく言われる。
私ははじめてから毎年異常気象が叫ばれているので、異常気象が当たり前。
(中略)
農業はよほどうまくやらないと会社としてうまく機能するのか疑問、不安ではある。
日々の作業に追われ、まわりをみる余裕がない。
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橋本信宏
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農業(自営業)は仕事と生活が一体となっていると思った。
役に立つことを書きたいなと思ったら、だいぶ厄介な内容になりました。
最初に書いておきますが、私は現在農業をしていることで充実した人生を送っていますし、他の人にすすめることが出来るほどいい感じです。
上記を前提にして読んでいただけるとうれしいです。
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川井 元
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大学卒業後、財閥系損害保険会社で19年間、保険営業及び自動車事故の損害査定(示談代行)をしてきました。特にノルマは厳しく、一に利益、二に利益、三、四がなくて五に利益との社風でした。
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田中 拓次
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私は平成16年にお茶で新規就農して、今年で13年目を迎えます。実家が熊本で茶の卸業を営んでいることもあり、自社生産によるコストダウンと直売による増益を目的に新規参入しました。
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麻生竜誠
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船を下りるとそこは一面銀世界。
忘れもしない平成26年2月14日、まさかこんな景色の大分を眺めることになるとは想像もしていませんでした。
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国年 真悟
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①会社を辞めよう!
②これからどうする?
③農業をやろう!
④何を作る?
⑤ぶどう農家になりたい!
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堀彰太
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4年前に神戸市から豊後大野市へ引っ越してきました。こちらへ来たときは妻と2人でしたが息子が産まれ3人家族になりました。大分県に来てからは全てのことがはじめての経験で刺激のある楽しい毎日を過ごしています。
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後藤 敏行
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農業の職に就こう!と思ったのは、(中略) 趣味で自転車に乗っていたが、その頃友達と実家の田舎コースを走った際、小学校の遠足の時に見ていた田んぼが殆ど休耕田になっており、離農者が多くなっている事を改めて知った。
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淵野 聡
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平成24年4月、私は農業へ転職するために会社を退職しました。国東市へ移住し農業研修を受け、翌年4月に夫婦で就農しました。 作物は七島藺(シチトウイ)というものです。
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藤野真美
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私にとって農業は天職です。
平成16年に福岡から大分に来て今年で9年になります。当初は、本当に大変な毎日でした。いくら仕事をしてもうまくいかず、体はクタクタで、貯金も使い果たし、心も疲れ果てていました。
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加山亨
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農業は全く経験がなく、妻が家庭菜園を10坪ほど借りて、趣味程度で2~3年やってました。しかし、自分はほんの少し手伝うくらいで、別に野菜作りが好きということはありませんでした。
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匿名
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新規就農して早7年になり、今迄ほとんど利益は出せませんでしたが精神的に安定した生活か送れた事は、地域の方々とのコミュニケーションが取れていたからと、助けていただいた皆様に感謝しております。
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木本恭輔
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皆さんには笑われるかも知れません。
子供の頃に誰もが抱く将来の夢(たとえばプロ野球選手、サッカー選手、消防士など)が私の場合、“お百姓さん”でした。
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社長 川村貞恵・番頭 川村文孝
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就農して12年目です。現在61歳です。
私は、24歳~50歳まで、大阪で子供服のデザイン会社を経営していました、50歳で人生二毛作と言うか第2の人生を都会ではなく、静かな田舎で自然とともに生きようと決意しました。
47歳から二人でいろいろ出かけて探し始めました。
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一先輩新規就農者 |
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私が就農した十数年前と比較すると、就農に関する情報は格段に増え、今や書籍を含めインターネットにより全国の就農先や体験談も検索すれば、ありとあらゆる情報が得ることができ、本当に便利になったものだとつくづく感じられた。
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大藏 高明  |
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私が幼い頃より抱いていた農業のイメージは、けして良い職業とは云えませんでした。
〔百姓〕との言葉がありますが、まさにその通りで、日の出から暗くなるまで休む間も無く働く家族が居ました。
その過酷さを目の当たりにして育ったのですから、当然!幻想はありません。
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田中 敏次  |
新しく農業を志すあなたへ |
ファーマータナカは強運の持主だ。その証拠にこれから列挙する事以外にはあと僅か100項目位しか失敗の記憶がない。先人は成功より失敗から学べと教えている。3日3晩居眠りしながら徹夜し、掻き集めた失敗談が、これから農業を志すあなたの道標となれば不幸中の幸いである。
(あくまでも新規就農を歓迎する趣旨なので、誤読無きようお願いしたい。)
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亀井俊宏  |
田舎暮らし・農業 |
僕が田舎暮らしを始めたのは、夫婦29歳、子供4歳2歳0歳の時でした。憧れの田舎暮らし、楽しいことばかり想像してきたのですが、現実は本当に“びっくり”でした。
まずは「水」・・・小学校の時「日本は上水道の普及率98%と教わったような気がしていましたが、まさか自分の住む所が残りの2%だったなんて・・・山から引いてきたダイレクトな水・・・・1ヶ月くらい腹痛が続いた。
月に3日~4回、15kmくらい離れた名水を汲む日々。
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久葉晋作 |
「オレの大分県生活」 |
『はまりごしがいいなっ!!』で大分県生活が始まった…。それより少し前にぶどう園に訪ねてきたおじさんに『わが…はまっちょんのー!!』って言われていた…。
(わが!?輪が!?はまっている!?どこに!?嵌ってねえよ…どこにも!!)
大分に来て、方言との出会いが最初のカルチャーショックだった。
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友田明彦
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「就農の経緯」 |
大学を卒業して、すぐ大阪に本社がある大企業と言われるものに希望に燃えて入社しました。
ところが、そこで私が目にしたものは一生かけて働いて、残ったものが、「うなぎの寝床の家だけ」という現状。地方の小さな町で生まれ育った私は都会でのサラリーマンの暮らしをイメージはしていたものの自分自身のこととして始めて認識した瞬間でした。
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田中 拓次
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「就農3年間の反省と、
企業的農業経営を目指して」 |
ここ数年、地元小売業者の倒産などで卸業者には厳しい現状が続いておりました。そこでこれからは、自分たちでニーズに応じた茶作りから販売まで手掛けていこうという方針から、私が大分で就農して茶の生産を担当し、父と兄が熊本の会社で商品化・販売を手掛けるという形を目指し歩き始めました。
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橋本文博
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「新規就農 必勝法は?」 |
2000年春に、11年間勤務した総合商社を退職。パプリカ栽培を始めて、今年で8年目を迎えている。
経営規模は、はじめの5年目までは、近所の空きハウスをあちこち借りながらの2反弱。毎年、ぎりぎりの家計費を稼げて、ほっとしていた。
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