アグレッシュおおいた

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農業を生業にする、百畑百通り。~きつい=辛いではない。大変=無理ではない~
豊後大野市三重町 
水本 幸佑(こうすけ)・ゆかり
水本 幸佑・ゆかり
私たちが農家になるまで

 [ ゆかり視点 ]
爆音で目を覚まし回りを見渡すと、ビカッと稲光が真っ暗な室内を照らしました。そしてまた爆音が響き渡った。
雷と叩き付けるような雨、後に「九州北部豪雨」と呼ばれる豪雨の夜は、何度も市の避難警報がアパートに響きました。
それが移住初年度、研修一年目でした。

そして、その翌年は正に酷暑でした。
「こげな暑さは経験したこっがない!去年もたいがい暑いーでピーマン汚のぉーなっしもぉたが、今年ゃーまぁだひでー!」
ずっと豊後大野でピーマンを作ってきた農家の方が口を揃えて頭を抱えていました。
それが私達の研修2年目、模擬経営の時期でした。
全国でも災害が多発し、野菜の値段が高騰しましたが、私達はその年の単価に救われました。

「いやもぉ先生、本当に農業は毎年1年生ですね。」
ぐったりして私は呟きました。

「そぉじゃ!農業は毎年1年生なんじゃ!そぉ思うんが大事なんじゃ!そぉして、考えるのが大事なんじゃ!ょぉけ採りよる人ん畑見ちぃ『あーキレーにしてますねー凄いですねー』じゃつまらんのじゃ!何がどぉなって、どげー違うんか考えなつぁらん!して、色々変えていかないけんのじゃ!毎年同じじゃつぁらん!」
その言葉が自分の考えを支えてくれました。
導いて下さった里親先生や、移住を支えてくれた市役所の方々。
辛いときに話を聞いて下さった先輩方が、私達の就農を支えてくれたと感謝した瞬間でした。

私は父が野菜の苗を買ってきたのが切っ掛けで、3歳から家庭菜園を始めました。思えばあの時の赤く熟れたピーマンが、今の私を構築したのかもしれません。
そして、子供の頃から農家に憧れていました。
しかし農業は、憧れだけで出来る生易しいものでは無いことを知る機会も沢山ありました。
何より、農家でもない女性が農業をやりたいと言えば、じゃあ嫁に!と、言われるのも私は苦手でした。最初に就職か、進学かを意識した時に農家になりたいと言った時にそう言われたからです。
14歳の中学生が「40歳位の人で、いい人がおるよ!お嫁さんになればよかよ!で、後継ぎ産んだらバッチリたい!」と言われても「気持ち悪い」が、率直な感情でした。

体力的にも経済的にも農業は無理。せめて手に職が欲しくて工業高校に進み、色々な資格を取りましたが、女性が就くのは難しい現実がありました。
東京に上京し、諦めきれずに大型の園芸店に勤めましたが、食べていくのがままならないアルバイトを掛け持ちする日々。
そういった職種は正社員の募集が中々なく、そのため現場は万年人員不足でピリピリし、社員になれたとしてもサービス残業当たり前で、大抵は体と心をを壊して辞めてしまう。私もその一人でした。

しかし、その経験は無駄ではありませんでした。
百畑、百通り。植物育成においての環境が占める割合の大きさ、農薬や科学肥料の危険性と、有用性。新品種の危うさ等、様々な事を学ぶことが出来ました。

しかし、その後暫く農家になりたいというのは忙しさに忙殺され、家庭菜園の野菜を食べる事で満足していました。ある日、主人が「豊後大野でピーマン農家やってみない?」と、言い出すまでは。

「どこそれ?てか、何でピーマン?つか、それでどうやって食べていくつもり?勝算はあるの?私を納得させるプレゼンをして。」
それがその時の、率直な私の反応でした。
それからじっくり主人の話を聞いて、ずっと具体的に考えられている事が解り、私も腹を決めました。

今現在就農2年目、移住4年目にして思うのは、やはり農業は毎年1年生。
基本に忠実に、しかし固執しないこと。常に勉強する。しかしチャレンジしすぎないこと。

基本に忠実になることは大事なことだからと言って、そんなことはあり得ない!これさえやれば間違いない!何てことも無いと思うのです。
そして、新しい事を取り入れることは大切だけど、地盤を固める事も大切だと思っています。基本、下地あってこそのチャレンジだからです。

[ 幸佑視点 ]
豊後大野市の農業学校、インキュベーションファームでの2年間の研修を終えてから就農、そして農家2年生の春を迎えました。

研修から通算で3年間ピーマンを作ったわけですが、頭に残った言葉はたった二つ。
『農家は毎年1年生』『頭を使い、工夫をして楽をせよ』

いずれもお二人の里親先生からそれぞれいただいた言葉です。
そしてそれらを念頭において自分の中から出てきた言葉が一つ。
『農業に、こうしなければならない、これさえしておけばよい、は無い』

栽培ノウハウにセオリーはあれど、それに固執しない。
言葉にすると月並みですが、この考えは、妻とも一致しています。
10年もすればまた違った言葉が見えてくるのかもしれませんが。

夫婦で農家をやるということ

 [ ゆかり視点 ]
農業において体力、腕力、効率は絶対的な力だと思います。しかし、全てを一人でカバーする必要は無いと思うのです。それをカバー出来る、数という力を持つ選択もあるからです。

ただ、(数)と言っても(駒)ではないです。一緒にやっていく大切なパートナーや仲間です。
夫婦や、親族であれ、人間関係ですから、相手を思いやれないと間違いなく破綻すると思っています。農業を始めるまでは、主人と喧嘩などしたことありませんでしたが、農業を始めてからと言うものの、喧嘩はしょっちゅうになりました。

目的が同じだからこその少しのズレも許せない、セコイ人間になってたと思います。体力も得手不得手も違うのだから当然ですよね。
得意分野を生かし合い、協力すれば、農業はもっと効率的で楽しいものになると実感しています。

[ 幸佑視点 ]
農業において、数は絶対的な力であり、夫婦で農業は新規就農に最適ではないかと思います。
が、しかし。当たり前のことですが、夫婦は労働力以前に『夫婦』なわけです。

仕事でもプライベートでもずっと相手と一緒。しかも定休日も祝日も有給休暇もない生活。
実際、こっちにきてから東京で仕事してたときより喧嘩が増えました。
ちょっと考えが食い違ったときも『お前は仕事に口を出すな!』なんて言えません。一蓮托生運命共同体なわけですから。お互いに死活問題である以上、主張する権利は当然あります。

たくさん喧嘩をしましたが、たくさん学んだこともあります。
まず、生き方のビジョンが一致しているのが何より大事ということ。
『田舎で対人ストレスなく、のびのびと健康的な生活をしたい』というビジョンが、二人の中で一致していたから、喧嘩しても、じゃあ農家やめる!離婚する!サヨナラ!とはなりませんでした。

そこを基点に、どうすれば喧嘩せずに楽しく笑って生活できるかを何度も話し合いました。
結論としては3つ。
・よく話をすること。後出ししない、ため込まない。
また相手はそれを汲んで、頭ごなしに遮ったり否定せず、きちんと言葉を受け止めます。
・相手を許すこと。不足は補いあい、相手を責めるより、どう助けるかを考える。
誰にでも間違いや失敗はありますし、能力経験等に差があるのも当然。
・お互いに良い点を褒め合い、認め合うこと。
仕事でもプライベートでも、気づかないところで互いにパートナーに助けられています。

それでも時々喧嘩するんですが、上の3つが頭にあるだけで、お互いちょっと冷静になる余地を残すことができます。そしたらもう、最後はごめんなさいとありがとうでニッコリですよね。

これからの我が家、これからの農業

 [ ゆかり視点 ]
現在、私は膝が悪く直ぐに脱臼してしまい、昔の様に動く事は叶いません。
しかし、動けないから大変=無理ではないのです。
また体力がありませんが、これも体力がなくキツイ=辛いではないのです。

今でも収穫は好きで得意です(夫よりも速い!)。そしてトラクタは9割以上私が乗ります。
弱いなら弱いなりの戦い方があります。わざわざ強い人と同じ土俵に上がったりしません。

私のような、体力もなく身体の悪い人間が、他人の物差しで評価される現代社会で働く事は、それこそ辛いと思います。
自分が何に重点を置くかによって、農業も生活も幸せも百通りだと思います。

[ 幸佑視点 ]
まずはピーマンを今よりもっと『楽に』『たくさん』とれるようにしたい。これに尽きます。
数が出せる共販を基盤として、少量高付加価値化の副作でニッチ需要を満たすのが小規模農家の生きる道かな、と思います。結局、規模の経営は競合との体力勝負に陥ってしまうので。
とにかく農業が『辛い』にはしたくない。

後継者不足、耕作放棄地の増加が叫ばれる昨今、都会でワーキングプアをやるくらいなら、同じくらいの苦労でのびのびと健康的に活きられる農家を目指す若者が増えてもいいんだけどな、と切に思います。

国も分かりやすい大規模農家や産地の支援ばかりやらないで、こういう『ご飯が食べられる小規模農家』モデルを推進して若手農家を助けてくれませんかね。

終わり